でたらめ山暮らし/ブログ版

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命がけの好奇心?

 夕方ベランダの屋根に登って積もった落ち葉を掃除してたら、シジュウカラの死骸が出てきましたよ。

 私は生き物の生態とかに詳しくないんですが、子育て期を終えたシジュウカラは最近は群れで行動してるみたいですね。
 イネ科の雑草(たくさん生えてます)の実をついばむ姿を見かけますが、秋ソバの実もだいぶ食われてしまったかなぁ?


 で、それは吹き抜け窓の下にあったから、たぶん窓ガラスに激突して死んだんじゃないかと思いました。
 ちなみに我が家の窓に激突してくる小鳥が時々いますが、大抵は(たまに気絶してる奴もいるが)すぐに飛び去ってしまいます。
 正直ここで死骸を見つけたのは初めてだから、よほどの不運というか打ち所が悪かったんでしょうねぇ…。

 
 ところであらためて考えてみたんだけど、鳥が窓にぶつかる理由として鳥はガラスが見えないからだとわかります。
 しかし壁に激突するような間抜けは見たことないし、ここが人間という凶悪な生き物の住み家であることくらいは連中もわかってるんじゃないでしょうか。
 
 山で暮らしてると好んで人間に近づいてくる「鳥類、爬虫類、哺乳類」は基本的にいない事実を知るわけです。
 だけど中にはたまに遠巻きに私をずーっと観察してる鳥もいたりして、大胆な奴はすぐ近くまで寄って見に来ますよ(もちろんすぐに逃げられる安全圏は確保してますが)。

 余談ですが面白いのはカナヘビ(トカゲ)でして、人を恐れてすぐ逃げる奴と全く恐れずになついてくるみたいな個体と別れますね。


 人から聞いた話ですがニワトリ小屋でイタチやキツネに襲われ食われるのは「好奇心旺盛な奴」だとか。
 普通なら敵から逃げ隠れするのが本能なのに、中には相手に興味を持って自分から近づいてゆく個体がいるそうですよぉ。

 ま、人間界も同じみたいで、周囲と同じことをして過ごしてれば「生き残れる可能性が高い」という知恵があるようですしねぇ…。

 だから想ったんだけど、窓に激突して死んだシジュウカラは、もしかして我が家の中に興味を持ったのかもしれません…。
 入り口があるから突進してみたけど実はガラスでふさがれてて、激突→即死って顛末だったんじゃないかなぁ …?


 …本の知識で得た範囲ですが、大昔には気候に地殻の変動とか環境が激変する変化が何度もあったそうです。
 多くの生き物たちは適応できずに滅びたらしいが、だけどその中に知恵を持って新しい環境にも適応する個体もあったとか。
 もしかしたら好奇心を持って今までにない食べ物や巣作りとかに挑戦し、自らを変えていった(進化?)のかもしれませんね。
 そしてそれらの中から新しい環境に子孫を残せる連中が出てきて、それが現在山で活躍してる生き物たちなのかも? …なんて想ったりしましたよ~。

 ま、平時においては役立たずのロクデナシで死んでゆく、馬鹿な個体たちなんでしょうけどねっ …(^o^;


 というわけで落ち葉に埋もれたシジュウカラの死骸は堆肥に入れようかとも思ったが、結局はブルーベリーとムラサキシキブのある場所に埋めました。
 来年はそれらの肥料になって木々の生育に貢献するでしょう。 …堆肥の材料にしようが地面に埋めてみようが結局は同じことですしね。

 別に死んだシジュウカラに対して「申し訳ない」とか「かわいそう」なんて感情は無いんですが、私自身が「いつかここで野垂れ死にして土に還りたい」って気持ちはあるわけです。

 なのでもし地べたで死骸になってる私を見つけた人が、腐りかけて見苦しいからと落ち葉でも被せてくれたら少しだけうれしいかな? …って気がしただけのことでした (^_^)




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たかが知れてる凄いこと

 私は山で生活するようになり今の我が家を建てはじめ、何とか住めるようになるまで何年もかかってしまった経験から想うことがあります。
 
 それは都会の町並みはもちろん、田舎の公共施設や各種ライフライン、それどころか田んぼの農道でさえ「これだけのものを創り上げた」人間のパワーに感心してしまうんですよねぇ。
 自分自身が、わずか7尺の丸太の柱を1本立てることに、どれほどの手間と時間に労力体力を費やしたか経験済みなんで、人間一人の能力なんて「たかが知れてる」ことを十分に知ってるつもりではいます。

 なので巨大広大なビルや橋梁にダム等々の建造物を見るたびに、目標を一つにした人間集団の持つ力に可能性と素晴らしさを思わずにおれません。
 ま、山の中で自分勝手に生きてる私が言う資格はないかも知れませんが、独りで好き勝手にやってきたからこそなんだと申し上げておきます。
 そして重機や鉄筋コンクリートなんか無かった大昔の建造物を見れば、さらに人間の知恵や想いと絶妙なチームワークが存在してたことを感じて、たとえ現代のような資材や機械にお金が不足してたとしても「願いを実現する手段はあるものだ…」と考えてしまうわけです。


 ところがそんな素晴らしく巨大な建造物やライフラインも、地震や噴火に洪水とかの天災の力の前には一発で壊滅してしまったりもします。
 これだけ凄いものを人間が総力で創りあげても、自然の力の前では全く無力だったりする事実もあるんですよねぇ…。

 だから私個人はもちろん、人類の力ですら「たかが知れてるのかな?」と想うんですが、その理由を考えてみました。


 地球上に人間は60億人くらいいるそうで、確かにクマやイノシシなんかよりは圧倒的に多い哺乳類なんでしょう。
 しかし虫や植物等々の生き物と比べたら個体数で見るなら完全な少数派だったりもします。

 地球上の生命は多少のバラつき不安定要素とかのうねりはあるでしょうが、全体としては波打ちながらも安定バランスがとれてるような感じですね。
 人間以外の生き物は本能と仲良くしながら好き勝手に生きてれば、自然と地球環境の一員として貢献できる恵まれた連中みたいです(個人的には人類が今じゃ動物以下に退化したと根拠のない考えをしてますが)。
 …だけど人間だけはちょっと異質な存在みたいな気がしてますよ。

 余談ですが家庭菜園で農薬を使わない理由のひとつに、我が家の飲料水が私の暮らす地面に降る雨から得られてる構造を知ってるのもあります。
 …なので生活排水以上の毒物を地面に流せないんですよぉ。
 ついでに虫や雑草が野菜の生育に役立ってる場面も目撃してて興味があるし、私は農家じゃないから換金手段として畑をしてない余裕ってのもありますね。


 …ここまでは経験上からの話で、この先は妄想の世界です。

 人類の文明が「たかが知れてる」のは、人間のことのみを考えて行ってる結果じゃないからかと?
 それどころか建前の綺麗事が流布する世間の実は「人生は戦いだから負けるやつが悪い。卑怯な手にだまされるやつが悪い」とか、「人生はつらくて苦しいもんだから、生き残るために不正を受け入れて耐えるのが人間だっ」などという「自分さえ良ければ」的な裏の価値観が本当の正義として横行してたりする…。

 うん、私だって決して清廉潔白な人間じゃないことは自覚してるつもりです。
 だけどもしも言語以外の方法を知り動植物と対話して、ウソのない生活ができるようになれば、異端児的な人間だって地球環境と共栄して本当の幸せを模索構築できる気もしてるんですが現世じゃとっても難しいテーマですよ…。
 私自身が我欲と煩悩の固まりみたいな人間ですから、偉そうなことも現実的解決策も提案できない身分でありますしねぇ …f(^_^;
 

 だけど山暮らしに身を投じて、世間的には最低ランクの収入と社会的身分に落ちてはじめて見えてくる世界もあるんだと、一応は言ってみたくなった貧乏人です…。
 


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堆肥とニワトリの夢2 …クソミソの鳥たちと生活

 相変わらず暑い日が続いてますが、なんとなく空を見上げたら"うろこ雲(いわし雲?)"が高い空に浮かんでましたよ。
 「あ、秋になってる…」と、思わず声に出た今朝の出来事でした。


 で、昨日の話の続きですが…。
 でたらめな堆肥作りをしてるけどキモにあるのは「鶏糞(ニワトリのクソですね)」だと思ってます。
 バラツキはあるけど「チッソ、リン酸、カリ」の3要素が大体 1:2:1 くらいの割合で含有されてる優秀な肥料(有機物)かな?という感じです。
 チッソは青草や緑肥で、カリは草木灰や(今年から)有機石灰でまかなえてるようだから、リン酸分主体で補給できたら良いかな?と現時点では考えてます。

 そして何より鶏糞は安いんですよぉ~っ。
 1袋15㎏が200円以下という格安肥料で、豚糞や牛糞なんかはこれよりはるかに高価ですから。
 ま、知人の牧場から無料で牛糞を分けてもらう手もあるんですが、その手間暇を考えたら鶏糞の手軽さにかないませんねぇ…。
 

 しかし自然農法とかにこだわる方たちの中では、市販の鶏糞に拒否反応を示す人もいるみたいですね。
 …たぶん普通に手に入る鶏糞は養鶏場の廃棄物なわけでして、そこでは輸入穀物の配合飼料や抗生物質等々の「有害と思われるエサを食べたニワトリの糞」と考えられるのは否定できないでしょう。

 だけど鶏糞が汚染されてるのはニワトリのせいじゃなくて、卵や肉を生産する「機械」として扱ってきた人間の責任だと思いますよぉ。
 確かに「無農薬有機栽培」とか「無添加で自然なものを食する」等々の考えには私も賛同はします。

 しかしあらゆる面で汚染されまくった世の中にて、自分だけは清浄な食生活を送るなんてのは「人との関わりを絶ち、山奥で仙人生活をする」以外は非常に難しいんじゃないかと思いますよ。
 
 …近頃は微生物の力で汚染物質を浄化する方法も、いろいろとあるらしいですね。
 たとえ汚染された鶏糞でも、いずれは山の中で害のない存在になって生きてゆくんじゃないか?と、勝手なことを考えてる次第です。


 
 で、鶏糞を生み出すニワトリですが、私には夢があります。

 ちなみに「夢」という言葉を私は好まない。
 なぜなら元々が眠りから覚めたら消えてしまう幻の存在だし、世間様が好意的に解釈する「夢」なんてのは「実現させる具体的な意志もなく、夢想してるだけで満足してるもの」というのが、個人的イメージなんですね。

 私が今やってる生活は「夢がかなった」わけじゃありませんよ。
 …小学生の頃から構想してたことをやっと実行することができて、思い通りにいかない現実の中で何とか続けてる状態なんです。



 だけど私もたまには「夢」を語ってみたいもんです。
 ちなみに私の夢は我が家でニワトリたちと一緒に生きることですよっ。

 昔話ですが、子供の頃にもらってきたヒヨコを育て、もう少しで卵を産む程に成長した記憶があります。
 学校から帰った私が姿の見えない奴の名を呼べば、どこからともなく鳴きながらダッシュして私の元に駆けつけたものでした。

 …だけど諸事情から親に言われて、泣く泣く手放した悲しい経験でした。
 あの時に自分が固く誓ったことは「大人になったらまたヒヨコを育てて、今度はニワトリの楽園を作ってやる~っ」でしたよねぇ…。


 そしていつになったら実行できるか見当もつきませんが、我が家に入植するニワトリの候補は考えてますよ。

 廃鶏になったレグホン種と、できればオスのヒヨコも招きたいですねぇ。
 それから親でもヒヨコでもいいが、ブロイラー種にも来て欲しいなぁ。
 それらにチャボとか昔から民家の庭先で生きてきた種(別に健全に育ってるなら雑種でも何でもいいんですが)を混ぜこぜに放し飼いして、勝手に交配しながら我が家の気候風土に適したニワトリになればいいなぁ…。などと想ってるわけです。

 そういや「烏骨鶏」「名古屋コーチン」とかの血統種のみを大切に育ててる知人もいるわけですが、私は血統ブランドとかよりも適当健全に生きてゆけることの方が重要だと考えますよ。


 というわけで、腐ったクソの話が生きたニワトリの話に展開してしまいました …(^_^;
 結局は落ちのつかない話になってしまいましたが、クソみたいな人間の戯言と聞き流してくださいね。



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不純で適当に楽しく生きる …2

 私は子供の頃からネコや小鳥とか、何かしらのの生き物(ペット)と生活してました。
 そして山暮らしを始めてからは一時期ネコがいただけですが、ここではペットじゃない野生の生き物たちに囲まれて生きてるわけです。

 人様は「動物は弱肉強食の厳しい世界で怯え耐えながら生きてる…」みたいなことを言いますが、自分たちがそうだから人間より劣った?生き物はさらに不自由で不安と恐怖の世界に生きてる…と、決めつけるのはいかがなものでしょうか?
 私が日常で観てる限りの主観で言えば、連中は毎日を楽しくお気楽に生きてるように思えますけどねぇ…。


 人間以外の生き物は基本的に「面白くない」ことはしない気がしてます(人間のつまらんことに付き合ってくれるのはイヌくらいかな)。
 例えば山の鳥たちも子育てに忙しい時期は呑気にしてられないが、たぶん「恋愛→子作り→子育て→巣立ち」の課程が面白くて、親を頼りにしながら成長する子供の姿を見るのが楽しくてしょうがないんじゃないでしょうか?
 …それでも男の性というか遊び好きな父ちゃんたちは、時々暇をつくっては好きな歌を歌ってますよ~。

 私と過ごしたイヌネコや鳥たちも一時の食事以外は遊んだり寝て過ごしてましたし、野生動物たちも生命維持のために活動する時間は(忙しい時期を除けば)一日のわずかで、あとは歌ったり遊んだり寝て過ごしてるんじゃないか?という気がしてます。


 個人的に想うのは地球上の生き物は、はじめから大幅な自由時間を与えられながらも生きられるシステムになってて、たぶんサービス残業なんかして一日中(一年中)働かされながら(豊かな老後のため…とか思わされながら)やっとこさ生きてるのは人間くらいのもんじゃないかぁ? …なんて考えてしまいましたよ。
 だって山の生き物は、すべてが私以上に適当いい加減に生きてるように見えますからねぇ…(私も人間界では相当いい加減な生き物に見られてますが)。

 さらに私が山の生き物たちを尊敬することは、連中は好き勝手に生きてるだけで地球の自然環境に貢献してるんですよねぇ。

 ま、リスなんかは冬の蓄えとして木の実をせっせと貯め込んだりしますが、あくまで「春までしのげれば良い」程度の量で「さらに来年再来年の分まで、できれば死ぬまで豊かな生活を送るために…」などという人間的なセコい発想はないみたいです。
 
 明日をも知れない命なんだから春まで生きられる分をとりあえず蓄え、その後はまた新たに食料を集めればいいだけの話ですしね。
 ついでに書けば、もしもそのリスが冬を越せずに死んでしまったなら、蓄えてたクルミはいっせいに芽吹いて「クルミ林」を作れるチャンスがあるかもしれませんよぉ。
 …奴等は生きても死んでも、ちゃんと地球の自然環境に貢献できるシステムになってるみたいですねぇ。


 余談ですが、子供の頃に学校の先生から「江戸時代の百姓は盆と正月しかコメが食えず、普段は粟や稗ばかり食べて"生かさず殺さず"の生活を強いられてた」と教わりましたが、たぶんアレはウソだと思ってますよ。

 日本には味噌や酒に、せんべいあられ等々のコメをふんだんに使わなければ成立しない豊かな食文化が古来から伝わってます。
 …コメがあり余ってなければ、そんな文化はありえないはずですからねぇ。

 僻地の山村で生まれ育った母親の話でも、子供の頃に見た大人たちは実家や近所中が年中酒を造って飲んでたそうだし(もちろん脱税行為で今はやってないし、すでに時効だから書いてますが)、私も仕事で古くからの農家に行くと昼食に酒(と昼寝場所)を振る舞われるのは常識です。
 …冬時期はほとんど仕事がないから、昔は暇つぶしに昼から酒を飲んだりしてのんびり過ごしてたそうですよ~。
 

 つまりは人間だって、生きるために忙しい時期を除けば遊んで暮らせるような一生を大地から与えられてるんじゃないでしょうか?

 …たぶん?の話で断言はできませんが、山の生き物たちは「死」を恐れてないんじゃないか…?という気がしてますよ。
 確かに連中はどいつもこいつも非常に臆病で「逃げるが勝ちっ」の生き方をしてるみたいですが、「自分さえ良ければ」って発想からじゃないみたいに思えます。

 …無用な争いを起こして生活や命を失う無意味さを、人間以上に知っているんじゃないでしょうか?

 山の生き物たちは、明日ポックリ死ぬかもしれないのに「豊かな老後のため」に今を我慢して犠牲にする不合理なことなんかせず、「今を大切に楽しむ生き方」を常識として身につけてるように思えてなりません…。


 …想うのですが人間って、死や老いを恐れる気持ちにつけ込まれ、我欲を煽られることを常識と考えてしまうから、苦痛な人生が展開してるのかもしれません。

 …山のツグミみたいに余計なことを気にせずに、脳天気に歌ってた方が楽しい一生を送れるのかもしれないなぁ?…と、呑気な声を聞きながら想うこの頃でした …(^_^;


 

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意思表示をしながら共に生きてる…

 先日の夜明け頃、カラスの声を久々に聞きましたよ。
 今年は季候も良いし今時はエサも豊富だろうから、我が家に寄りつかなくなってたんですかね。

 で、寝室の窓から顔を出して見ると、我が家のトマトを凝視しながら「カァ~カァ~」と明るく通る声で鳴いてます。
 たぶんこれはエサがあることを身内に知らせてる合図と思われます。…私も連中との関わりが長いんで、ある程度は見当がつくんですよ (^_^)


 もちろん私が見過ごすわけもなく飛び起きて、ナス科の畝(トマト類とナス、ピーマン、シシトウ、パプリカが植えてある)に防鳥網をめぐらせました。
 奴等はトマトとナスを落としては数カ所突っつくだけで、結局は全部食べないんですよねぇ。…たぶん好奇心のイタズラが主な目的と思われます。

 ま、その日は出勤前の忙しい時間だったから、とりあえず急いで適当に張っただけで侵入する隙間はいくらでもあります。
 それでもカラスへの意思表示というか話は通じるらしく、いい加減でも私が網をかけたら以降は手を出しませんよ。
 そして網をちゃんと張っておけば他の動物(ウサギ、タヌキ、ネズミ等)も悪さをしませんね。
 …知人農家の話によると、連中は警戒心が強いから不可解なモノに出会うと近寄らないそうで、タヌキやウサギなら釣り糸を張っておくだけで撃退できるそうですよ。

 余談ですが、自然に発芽してきたり脇芽を刺して増殖してるトマトには網をかけず「勝手に食ってくださいっ」と放置してるんで、独り占めしてるわけじゃありません。


 ちなみに我が家でもっとも動物の被害に遭う野菜はトウキビ(トウモロコシ)でしょうね。
 ナスやトマトにエダマメ(大豆)とかは多少の被害を気にしなけりゃ、ある程度の数を植えれば私が食うに困らないのですがトウキビだけは全滅に近い被害を被りますよ~っ。 …きっと連中(タヌキやカラスと思われる)も大好物なんじゃないでしょうか?

 というわけでヤングコーン(間引きトウキビ)を収穫してから、今年も網を張っておきました(写真じゃよく見えませんねぇ)。



 新たな工夫としては説明書通りに張り綱を使うと手間と時間がかかるんで、今年はとりあえず網だけ張って後から所々をビニール紐で吊り上げてみました。
 地面の部分は安上がりなマルチ用のプラ杭で引っかけるようにして、どこからでも網をくぐって入れるようにしてみましたよ。
 
 我が家では安価な(長さ18mが百円台で買える)防鳥網を毎年使い捨てにしてますが、そろそろ何年も使える丈夫な網を使ってみたい気もしています。
 だけど幸い我が家にはイノシシやクマ(数年前に騒動が起きたが駆除された)みたいに強力な動物は出没しないんで、今のところはこの程度の軟弱な網でも獣害を防げてるんですよねぇ…。


 ところで本日の収穫ですが、こんな感じ(キュウリだけは昨日の分も含む)。



 トマトは甘く酸味も濃くて、自家製野菜の醍醐味を堪能してるところです。
 堆肥や人糞を追肥したキュウリも、最近は独特の香りが強くなってきましたねぇ (^o^)
 そして左上は初収穫の「一口メロン」なんですが、まだ熟してなかったらしく苦くて食えなかった…。なのでとりあえず糠床に突っ込んでおきましたよ…。

 うーん、すでにキュウリやトマトとかは私ひとりじゃ食いきれない状況ですね …(^_^;
 なので友人に「お裾分け」してる状態ですが、もうすぐピーマンやシシトウ類も同様になるでしょう。


 自分勝手な思い込みでしょうが、最近は野菜と共に生きてる実感がありますねぇ。
 …日本語も含め無言有言の会話をしながら、出来る範囲での意思の疎通をしてるつもりでいます。


 …で、このまま寒くなって別れるのは名残惜しいから、できるだけ種を採ってみたいと考えてますよ。
 そして来年もまたその種から再会できて一緒に生活できたら、こんなうれしいことはないでしょうねぇ …(^_^)





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