でたらめ山暮らし/ブログ版

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不純で適当に楽しく生きる …2

 私は子供の頃からネコや小鳥とか、何かしらのの生き物(ペット)と生活してました。
 そして山暮らしを始めてからは一時期ネコがいただけですが、ここではペットじゃない野生の生き物たちに囲まれて生きてるわけです。

 人様は「動物は弱肉強食の厳しい世界で怯え耐えながら生きてる…」みたいなことを言いますが、自分たちがそうだから人間より劣った?生き物はさらに不自由で不安と恐怖の世界に生きてる…と、決めつけるのはいかがなものでしょうか?
 私が日常で観てる限りの主観で言えば、連中は毎日を楽しくお気楽に生きてるように思えますけどねぇ…。


 人間以外の生き物は基本的に「面白くない」ことはしない気がしてます(人間のつまらんことに付き合ってくれるのはイヌくらいかな)。
 例えば山の鳥たちも子育てに忙しい時期は呑気にしてられないが、たぶん「恋愛→子作り→子育て→巣立ち」の課程が面白くて、親を頼りにしながら成長する子供の姿を見るのが楽しくてしょうがないんじゃないでしょうか?
 …それでも男の性というか遊び好きな父ちゃんたちは、時々暇をつくっては好きな歌を歌ってますよ~。

 私と過ごしたイヌネコや鳥たちも一時の食事以外は遊んだり寝て過ごしてましたし、野生動物たちも生命維持のために活動する時間は(忙しい時期を除けば)一日のわずかで、あとは歌ったり遊んだり寝て過ごしてるんじゃないか?という気がしてます。


 個人的に想うのは地球上の生き物は、はじめから大幅な自由時間を与えられながらも生きられるシステムになってて、たぶんサービス残業なんかして一日中(一年中)働かされながら(豊かな老後のため…とか思わされながら)やっとこさ生きてるのは人間くらいのもんじゃないかぁ? …なんて考えてしまいましたよ。
 だって山の生き物は、すべてが私以上に適当いい加減に生きてるように見えますからねぇ…(私も人間界では相当いい加減な生き物に見られてますが)。

 さらに私が山の生き物たちを尊敬することは、連中は好き勝手に生きてるだけで地球の自然環境に貢献してるんですよねぇ。

 ま、リスなんかは冬の蓄えとして木の実をせっせと貯め込んだりしますが、あくまで「春までしのげれば良い」程度の量で「さらに来年再来年の分まで、できれば死ぬまで豊かな生活を送るために…」などという人間的なセコい発想はないみたいです。
 
 明日をも知れない命なんだから春まで生きられる分をとりあえず蓄え、その後はまた新たに食料を集めればいいだけの話ですしね。
 ついでに書けば、もしもそのリスが冬を越せずに死んでしまったなら、蓄えてたクルミはいっせいに芽吹いて「クルミ林」を作れるチャンスがあるかもしれませんよぉ。
 …奴等は生きても死んでも、ちゃんと地球の自然環境に貢献できるシステムになってるみたいですねぇ。


 余談ですが、子供の頃に学校の先生から「江戸時代の百姓は盆と正月しかコメが食えず、普段は粟や稗ばかり食べて"生かさず殺さず"の生活を強いられてた」と教わりましたが、たぶんアレはウソだと思ってますよ。

 日本には味噌や酒に、せんべいあられ等々のコメをふんだんに使わなければ成立しない豊かな食文化が古来から伝わってます。
 …コメがあり余ってなければ、そんな文化はありえないはずですからねぇ。

 僻地の山村で生まれ育った母親の話でも、子供の頃に見た大人たちは実家や近所中が年中酒を造って飲んでたそうだし(もちろん脱税行為で今はやってないし、すでに時効だから書いてますが)、私も仕事で古くからの農家に行くと昼食に酒(と昼寝場所)を振る舞われるのは常識です。
 …冬時期はほとんど仕事がないから、昔は暇つぶしに昼から酒を飲んだりしてのんびり過ごしてたそうですよ~。
 

 つまりは人間だって、生きるために忙しい時期を除けば遊んで暮らせるような一生を大地から与えられてるんじゃないでしょうか?

 …たぶん?の話で断言はできませんが、山の生き物たちは「死」を恐れてないんじゃないか…?という気がしてますよ。
 確かに連中はどいつもこいつも非常に臆病で「逃げるが勝ちっ」の生き方をしてるみたいですが、「自分さえ良ければ」って発想からじゃないみたいに思えます。

 …無用な争いを起こして生活や命を失う無意味さを、人間以上に知っているんじゃないでしょうか?

 山の生き物たちは、明日ポックリ死ぬかもしれないのに「豊かな老後のため」に今を我慢して犠牲にする不合理なことなんかせず、「今を大切に楽しむ生き方」を常識として身につけてるように思えてなりません…。


 …想うのですが人間って、死や老いを恐れる気持ちにつけ込まれ、我欲を煽られることを常識と考えてしまうから、苦痛な人生が展開してるのかもしれません。

 …山のツグミみたいに余計なことを気にせずに、脳天気に歌ってた方が楽しい一生を送れるのかもしれないなぁ?…と、呑気な声を聞きながら想うこの頃でした …(^_^;


 
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テーマ:小さな幸せ - ジャンル:ライフ

コメント

こんにちは。
以前、浅井戸ポンプの記事を参考にさせてもらった者です。

私も、今年の5月から山暮らし(むてっぽーさんほどではないが)を始めました。

 人様は「動物は弱肉強食の厳しい世界で怯え耐えながら生きてる…」みたいなことを言いますが、自分たちがそうだから人間より劣った?生き物はさらに不自由で不安と恐怖の世界に生きてる…と、決めつけるのはいかがなものでしょうか?
 私が日常で観てる限りの主観で言えば、連中は毎日を楽しくお気楽に生きてるように思えますけどねぇ…。

私もそう思います。
小鳥のさえずりを聞いていると本当に楽しそうですね。

我々人間は「思い」の世界に生きているので、頭の中にそれぞれ勝手な世界(弱肉強食など、それぞれ個人の勝手な物語)を作り上げ、世界に投影しています。
しかし、他の生き物は、「思い」の世界に生きていないので、ただ現在を生きているだけなのでしょう。

そして、彼らには、自然から孤立した「自分」という意識がないような気が時々します。
私達の目には、ハチやアリや熊やトンボがばらばらの個体に見えますが、本当はそうではないのかもしれません。

 …たぶん?の話で断言はできませんが、山の生き物たちは「死」を恐れてないんじゃないか…?という気がしてますよ。
 確かに連中はどいつもこいつも非常に臆病で「逃げるが勝ちっ」の生き方をしてるみたいですが、「自分さえ良ければ」って発想からじゃないみたいに思えます。
 明日ポックリ死ぬかもしれないのに「豊かな老後のため」に生きるような不合理なことをせず「今を大切に楽しむ生き方」を常識的に選択してるように思えてなりません…。

この山の中で虫達の沢山の死を見ていると、死というものが非日常の出来事ではなく、ごく当たり前の出来事のような気がします。

我々は勝手な「思い」を世界に投影しているので、「死」は何かとてつもないことであり、特に「自分」の死はありえないことのように考えていますが、虫達の死を見ていると当たり前のことなんだと思えてきます。(まあ、実際に死ぬときはじたばたするでしょうが。)

自然の中にいるといろんなことを考えさせられます。

コメント欄に長文失礼しました。




  • 2010/08/03(火) 10:10:41 |
  • URL |
  • ぽんぷ #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

ぽんぷさま、山暮らしを始められたそうで、おめでとうございます。


ぽんぷさまの言われる「思い」というのは、私が考える「思い込み、決めつけ」と同義語なのかな?と解釈しました。

個人的には人間以外の生き物にもそのような感情は存在してるように時々見えますが、あくまで大勢に影響ない個体差(個性)の中に収まってるから種としては「思いのない世界に生きてる」と言えると考えてます。
そして自然環境や他者との関わりの中で生きてることは自覚してるでしょうから、すぐに逃げたり捕食関係の発生しない同士は無視したりして互いに悪影響を与えないような知恵を身につけてるのかもしれません。


…確かに山の生活では「死」という現象は日常的なものですね。
自然死以外にも、私自身が必要に応じて殺生してますし(苦笑)

動植物は毎日毎年、そして数年ごとに死をさらしたり人知れずの世代交代を続けています。
私が山に来た当初から変わらないメンバーは 、樹木と(もしかしたら)フクロウくらいなのかもしれません。

連中は不必要な死を避けるために臆病に生きるけど、必然として訪れる死は別に恐れてない気がしてますよ。
それは雪の上で野垂れ死ぬ、昆虫たちを見て考えたことです…。 

  • 2010/08/04(水) 23:17:31 |
  • URL |
  • むてっぽー #-
  • [ 編集 ]

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