この本は自然農法や自給自足を目指す人たちのバイブル的存在らしく、信者も多いそうですね。
私は十年以上前に買って読んではいたのですが、当時は「耕さず、肥料もやらず、除草せず」で米麦や野菜をつくる方法があるんだぁ?って程度の認識で、そのまま書庫で眠ってましたよ。
もともと読書家を自負してた私は実家で世話になってた冬季こそ図書館通いをしてましたが、山暮らし中は忙しくてトイレの中だけが唯一の読書時間だったりしてます。
ところで今回久々に読み返してみて思ったのは「これは農業の本じゃなく、氏が提唱する"無の哲学"を実証するための"自然農法"を一部で取り上げたに過ぎない」のかな?ってことでした(中でも書かれてますし)。
「無の哲学」ってのは私の貧弱な脳ミソでは理解しがたく、そこまでの達観には当分(一生?)到達することは難しそうです。
だけど「あれも不要…これも不要」と労力や価値観を切り捨ててゆく生き方は、何となく理解できるかもしれません。
私自身も若い頃は、せっかく人様から与えていただける身分や地位を自分から断って逃げ回ってましたからねぇ。
そしてその行き着く先が今の山暮らしです。だけど若くもないロクデナシに美味しい話をくれる人はもういませんよ …f(^_^;
私には家族や子孫もいないことですし「野垂れ死にもOK」と割り切って、その結果お気楽な日常を手に入れました。
ま、とりあえず地元の人たちの手伝いをしながら、年収50万でも何とか生き延びる術を模索するのが今の目標でしょうかねぇ…。
ところで福岡正信さんの本は3冊持ってまして、以下の本もこれから(トイレで)読み進む予定です。
そういや先日、仕事の相棒と移動中に田んぼを眺めながらの会話です。
「…人間が一人生きるのに田んぼの面積がどれくらい必用なの?」
「俺の食事量ならコメ(玄米)が年間50㎏もあれば十分だから、1畝(100㎡)の田んぼと、同じくらいの畑があれば大丈夫かなぁ…?」
「じゃあ、たかだか10m四方(1畝)の田んぼと畑を持ってるだけで、人間一人が生きてゆけるんだ?」
「うーん、あくまで計算上の話だけど…それに薪や家の材料にする山林も必用だろうけどねぇ」
「それだったら、何で一所懸命に毎日働きに出ないといけないんだろ?」
「もしかしたら世の中のシステムって、根本的にインチキなのかもしれないよねぇ…」
…なんて与太話は浮世で生きるに無用ですよね。
あくまで暇をもてあまして話した戯言ですよ…。
やっぱこの世で生きるに「おカネ」は必用ですから、私も最低限はせっせと稼がないと大好きな山暮らしもできないわけです …(^_^;
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